北風の季節
お変りありませんかい?
また つらつらと。
最近思ったりした事。
うーーんとね、わかりやすく、できるだけ。
僕はね、同じ人間である以上
たとえばジョンレノンにだってなれるって
そんなん思ってる。
だっておんなじ人間なんだよ。
かと言って
僕にはイマジンみたいな名曲は作れないけどさ。
でもそれはね、たぶん「作り方の種」みたいなものがね
自分の中の、どこにあるかもわからない様な、
まだ開けたことのない、鍵のかかった引き出しの中に入ってるんじゃないかってね、思うんだ。
つまりね、その「種」の取り出し方を、僕はまだ知らないわけ。
もし取り出せたらね、今度は育て方の入ってる引き出しを開けなくちゃ、てなっていくんだ。
ん~~
やっぱわかりづらくなっちったかな。。
なんかね、僕は紅型のワークショップとか、教室とかで
偉そうに先生なんて呼ばれるような事をしてるわけ。
でね、ほんと毎回思うんだよ、
「絵が描けないから図案描ける人が羨ましい」とかね「~さんは器用でいいな」とかさ。
そんな言葉聞くたびに思うの
絵が描ける人は、気に入った線が引けるまで、なんども消しては描いて、くり返して描いた人。
そこにかける時間も労力も惜しまなかった人、楽しんだ人なんだよって。
そしたら 結果描けてるから。
器用な人はいるのかも知れないけど、やっぱりそれもその人が自分でたどり着いた場所。
それに器用かそうじゃないかは、さして重要ではないしな~。
何しろ 楽しむ事。
楽しかったら時間も労力も惜しくないくらい向き合えるから、
そしたら結果 羨ましいと思ってた「絵が上手で器用な人」になれてるんじゃないかな~てね、思うんだよ。
で、僕が教室でやってること、心がけてる事はってーと、
出来るだけね、楽しんで出来る状況になりますように、て、お手伝い。
そんなとこ。
楽しめないで、苦痛。。てだったらね
その人にとっては、そこまでの物だったて事なんだろうな。
と、僕の不徳の致す限りです。すんません。
僕が描けるくらいの物は
僕が染めるくらいの物は
だれでも出来るって思うわけです。
だって同じ人間だもんね。
で、教室で僕は、その人の中の、開けたことない引き出しを、開けるのを手伝えたらなって感じ。
たま~に間違えて封印したもの開けちゃって、とんでもないトラウマとか出てきたりww
リチャード・バックて人のね、大好きな本に載ってた言葉
「学習はすでに知られていることを見つけ出すこと。
行為は学習の証明。
教育とは被教育者に
君らも教育者と同じ程度のことを知っているのだと気づかせること。」
てのがあってね
この後は
誰だって学習者でもあり、実行者でもあり、教育者でもある
みたいに続くんだけどね。
そうそう
当たり前だけどたとえ教室で先生でもね、
そこでの世間話ん中では生徒さんのが全然先生だったりするもんね。
子育ての先生だったり、社会の先生だったり、人生の先生だったりね。
ありがたいす☆
うん
そんなこんな。
久々書いた、ブログ^^
ほいではまた☆
寒い冬だよ。
どうぞ体調気をつけて。
今日も 全部楽しんでっ☆