夢かもしれないかもしれないかもしれない

紅天

2012年10月07日 22:50

きっとさ どこの国に生まれたって

素晴らしい景色をながめて にやにやすんだろな。



どの神様にばったり出会って お話しできたとしても

きっとさ グッとくるような

なにかありがたい教えに 泣いちゃったりするんだろな。



世界中の どんな民族にだって 

きっととてつもなく 美しい魂があるんだろうな。



そんな アイデンティティやら 神様のせいにして

すごく 大切にしてるはずのものに 責任おしつけてさ

どんな種類のもんであっても

暴力ふるうのとか

なんて 馬鹿げてるんだろ。



あのね 大学生のころに ぼーーーっとさ

思ったんだ。

言葉が不自由だから 言葉を脱いでしまいたいって。

そうしたらもっと うまく ホントの意味でちゃんと ちゃんと

コミュニケーション取れる方法が見つかるんじゃないか?て。

体が邪魔くさくって 体を脱いでしまいたいって思った。

体を脱ぎ去ってしまったらさ

そうしたら こんな綺麗な空や、いい匂いや、波の音 とかとさ

溶けるように 同化できるんじゃないかって。

もっともっと 体感できるんじゃないかって。

大好きなあの子とも もっともっと 深く 混ざりあえるんじゃないかって。

あらゆる境界 ボーダーはいらない て 思った。

そんでそんで、誰もがみんな、そんなん思ってる世界の中に

すでに暮らしているような 想像をすればするほど

「違う」 を 愛そう て思った。

だって違うからこそ 惹きつけられるんだ。

だからこそ 一個になりたいって思うんだ。

奪うじゃなくて 分かち合う感じ。

苦手なものもさ うん、全部つながってるからさ

見えづらいし 忘れちゃうけど

呼応しあって 影響しあって つながりあって 

全部は存在してるからさ

どんなものも

どんな 「違う」 も

本当は必要なんだはず てさ。


僕にとって 一番身近な境界はさ

この体。

全部の境界がなくなったらさ きっとなんにでもなれちゃうから

世界中の誰にだって、なんにだってなれちゃうから

そしたらさ、やっぱり

世界中の全部の全部 大事にするんじゃない?

だって 人ごとじゃなく 自分ごとだもん。


べたに 名曲。